エシュロン特集を更新した。更新しながら、あらためてエシュロンの恐ろしさを実感する。韋駄天さんからも記事を拝借、無断でリンクしてごめん。インターネットでの旧知の間柄と云うことで許されたい。午前2時現在、これからカップヌードル食べて、寝るつもり。
正午前、材料仕入れの件もあり、それからの仕事予定を監督に打診する。結果、次の仕事は無い、と言う。監督自身、暇なので工具の手入れや修理をしている始末だ。これまで材料は全て現金で購入してきた。僅かな材料費とはいえ、仕事も入らないのに購入してしまえば後が苦しくなる。廃業手続きを進めながら、段々気落ちしてくる。こんなことで挫けてたまるか、とも思ってみる。しかし、頑張ろうにも何に対して頑張ればいいのだろう?
持病も再発の兆し、歩くのがつらい。猫たちを外に出し、屋根に登って空を眺めた。青空が美しい。屋根まで蔓を伸ばしているキュウイの新芽に春の訪れを実感する。午後から仕上げに入る予定。鋳物の欠損部をパテで補修するのに手間取った。製造元のミスだ。不況が荒っぽい仕事をさせているのか?その尻拭いは末端の我々に被せるつもりか・・・安価な仕事に苦しむ中で、それでも完成度の高い仕事をしようと思ってきたが、元請けがいいかげんではどうにもならぬ。疲れてはいられない、前に進まなくては・・・
午後3時現在、仕上げまで後少し、サーフェイサーが乾燥するまで休憩する。体が何ともだるい。軽い目眩にも悩まされている。急に暖かくなったせいだと思い込んでいる。昨夜はまた親戚の訃報を聞く。10日前には叔母の訃報を聞いたばかりだ。どちらも母方の親戚であった。あの世で私の母と再会しているだろうか。私は今もしばしば母の夢をみる。いくつになっても母親の存在は大きく、死んでなお消えることはない。苦しくなると、つい思い出し、呟く「おふくろ」のこと・・・その母も生前中は苦しくなると父の位牌に手を合わせていたことを思い出す。父と母が心血を注いできた会社の幕引きに、不肖の息子が最後を飾る。さあ、もう少しで仕上げだ。
ああ、もう夜か・・・いつの間にか眠っていたんだね。夢をみていたよ、何の夢だったか? 思い出せないけど、必死になって思い出す必要もない、潜在意識に漂う心の記憶さ。夢から覚めた瞬間にさえ、その現実が曖昧にして、夢のつづきだと想える絶え間のない日々の繰り返しは、巡る季節のよう・・・もう、春だよ。庭に真っ赤な椿の花が咲いていた。恥ずかしそうに項垂れて真っ赤になっている。「きれいだね」と心で呟いたら、さらに真っ赤になってアリガトウって感謝されているような昼下がりの錯覚は、私にとって現実よりもリアルなんだ。ほら、あそこにもそんな心があるよ。コンクリートの裂け目から黄色いタンポポが顔を、その心を覗かせている。きみも大変だね、いつも見ているよ、感じているよって、心が通い合う気がするのは錯覚なんかじゃない。気付いてないだけなんだ。自然は隠されたそんな心でいっぱいだってこと、タンポポの黄色は何のため?日溜りに花弁を開いてさりげなく、待っているその心を、開いてみませんか。色とりどりの花々が囁きかける、そんな季節がやってきたんだ。椿の紅とタンポポの黄と、その花びらの形状とが人間の心を癒し、その癒しの延長に深遠な宇宙がみえませんか?深遠な宇宙の闇で小刻みに震えている命の波動が、次々と見たこともない花を開花させていく。そんな花々が弾ける音が聴こえませんか?そっちの星ではまだ戦争が繰り返されているようですね。心のフィルターをかければ、青い星も真っ赤な紅蓮の星に見えますよ。いま地球という星からはそんな犠牲者の悲鳴が全宇宙に放射線状に響き渡っています。現実の悪夢にあっても無関心でいられる罪が、神聖なる宇宙の領域にもしっかりと刻印されている。バグダッドの砂漠に放置された焼け焦げた戦車と死体の連なりは、人類の原罪という鎖の連なりとなって宇宙へと届いているんだ。自分に向けられた銃口に怯えることなく、足元のタンポポの花をその銃口に生けてごらん。これが平和という究極の生け花になる。深夜の静寂がそんな夢想を誘う。隔離していたパーコを家の中に入れた。今、私の膝で丸くなって眠っている。どんな夢をみているのだろうか・・・
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