メールを整理していたらリストラされて悩んでいる読者からの受信記録があった。その時に私がどう受け答えしたか忘れたが、仕事をしたくてもその仕事がないことの不安がひしひしと伝わってくる。あれ以来どうなったか、メールを出そうと思う。年間自殺者3万人は今度のイラク戦争での犠牲者をはるかに上回る。残された家族の心中をおもんばかり自殺を自死と言い換える傾向も出ている。私は自殺でいいと思う。自分で命を絶つことを自死とするのでは、自然死と変わらなくなる。去年だったか、同級生が1人また自殺した。何故だ?との思いが今も走馬灯のように駆け巡っている。彼とは繁華街でよく飲んだ。あの時の飲みっぷりの良さも、今にして思えば自殺行為そのものだったと思えてくる。彼の場合、生活苦が原因で自殺したとは思えない。資産家でもあるからだ。昨夜は悶々とそんなことばかり考え、たまらず外に飛び出した。そして食堂で同級生を思い出しながら、コップの中の酒に自分の死を見詰めていた。その帰り、MTBに乗ろうとしてコケた。そのままMTBを放置して帰ってきたが、朝、そのMTBを探したが見つからない。自業自得だ。吹っ切れない得体の知れない何かを、是が非でも吹っ切るには仕事をすることだ。二日酔い覚めやらぬまま工場に向かう。
午後3時頃までパテ付けを終える。明日は磨きだ。大宮の友人Tに電話、今度の彼の仕事は弟の職種と同じらしい。折り返し弟に電話、何かと相談に乗ってくれるよう頼む。その際に外壁の新たな加工技術の話が出た。弟の仲間も参入するらしい。こっちの方は私の専門分野だ。機材も揃っている。足場もある。材料の飛散というトラブルもあるというが、それならネットを張ればいい。購入したばかりのネットも工場にある。その新技術がどんなものか、インターネットで調べるつもりだ。人生良しにつけ悪しきにつけ、どんな展開が待っているか分からない。こと自分の仕事に関しては、頭で考えるより体が動く。どうなるか分からないが、とにかく話を進めてくれと云っておいた。
呆けたように、見るとはなしに庭を眺め、死んでしまった人々の思い出を手繰り寄せる。何もしたくないけど、何かをせずにはいられない、そんな不安が仕事に掻きたてる。しかし、その仕事が一段落するとまた心の空洞に吸い込まれていく。地主の言葉が脳裏をかすめる。「アンタも儲からない仕事に区切りをつけて、何処かで出直したらどうだ。オレはアンタのためを思えばこそ心配してるんだ」 嘘つけ、それなら何で地代を上げるんだ?ただオレを追い出したいだけなんだろ。誰のものでもない地面に線引きして、土地を取得した先祖に感謝するがいい。だがオレは動かない。地代を払いつづけている以上、ここに居座って何が悪い。猫屋敷との陰口も甘んじて受けよう。野良猫が轢き殺されるたびに呼び出され、誰が捨てたか分からぬ猫の墓を庭につくってきた。あれは夏の暑い日、路上にはみ出した猫の内臓物を掻き集め、庭に葬った日のことを決して忘れない。オレが野垂れ死にしても、誰も葬ってくれるな。それが邪魔なら山奥に捨ててくれ。虫たちがオレを蝕み、きれいに始末してくれる。やがてオレは土に溶け込み、野草が生い茂る。その時だ、オレはやっと世の中の役に立てたと思えるのは・・・風にそよぐ野草の花々の、その一つ一つにオレの心が散りばめられる。人が踏み入れない、山奥のそんな場所に私は捨て置かれたい。
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