もはやこれが限界かな?という場面にはこれまで幾度も経験してきた。その都度、諦めることなく継続していくことで何とか乗り越えられてきたんだと・・・振り返っている。「採算の取れない安い仕事を何故やるのか?」と訊ねられれば「今は採算が取れなくても、技術的な未熟を克服していくことでいずれは採算が取れるようになる」そう信じればこその日々の孤独な作業であった。何とか利益が出るようになった今、今度は廃業と休業の選択に悩みながら・・・それでも来月初頭までには休業が具体化しつつある。傍から見ると、私はいつもノンビリしているように見えるらしい。今日は疲れた。貧乏に疲れているのではなく、貧乏を笑うイイカゲンナ私を許さない、その心に疲れている。それも、もう少しで終わる。私は社長の座を降りる。もう誰に責められることもない。このホームページもどうなるか?私には分からない。やるだけのことはやった、やらさせてもらった。もう思い残すことはないまでにやりきったら、この「じねん」も終わる。それは更新が数ヶ月に渡って途絶えることで分かるだろう。これまで「カネにもならぬことに、よく夢中になれるな」との嘲笑には「カネになることしか価値を見いだせないで、よく生きていられるな」と返してきた。カネにならぬものを無駄と言い切る御時世に、人は人をカネに換算して値踏みする。値踏みされた私はゴミにしか過ぎなくなる。ゴミは捨てられる。捨てられたゴミの自由、その解放感・・・これが今の私の偽らざる心境だ。イラク戦争にゴミのように捨てられていく命に自分の命をダブらせて、初めて他人事ではない戦争のことを考えている。
正午現在、私の日誌に異変を感じた方からメールが届いていた。心配かけて申し訳ない。返事はいらないとのことなので、ここに書くことにした。お察しの通りである。自分を追い詰め、精神的苦痛も限度を超えればどうなるか?堂々巡りの悩みの末にポッカリ口を開けた空洞に惰ちていく・・・底知れぬ心の闇へと・・・何処かで引き返さないと元に戻れない・・・そんな不安のこと。どうやら私の度を超えた自虐が心配させてしまったようだ。その発端となった私的事情については省く。先ほど事情を知る某知人に悩みを打ち明けた。その結果、少しばかり落ち付いた。多分大丈夫だろうと思う。どんなに人にやさしくあろうとしても、人間社会ではある種の暴力性は常に付きまとうものである。人間関係においては、思いやりでさえ、暴力性をもって受け取られ易い側面がある。そんなことを気にしていたのでは人間社会では生きていけない、という類いの問題である。不純物ゼロの純度100%の水に生命は育たないように、限りなく透明な心を目指す精神指向は危険ですらある。さりとてあまりに汚濁に満ちた世相では呼吸困難になる。生命が維持できる程度の適度な不純物、人間社会に適応できるだけの少しばかりの暴力免疫性・・・そのことを無視して自分のみならず、相手にも純度100%の心を求めたならば、どうなるか?ここでは強要と言い換えたほうがいいが、私に降りかかったトラブルとはそのようなものだ。何のことか分からない向きも多いと思うが、それを承知でこれを書いている。一滴の水でも、いつかは必ず大海原に流れ込むように、自分だけしか分からない一滴の苦悩も、心の大海原においては人間全てが共有していた悩みであったことを・・・理解できる日がきっと来る。全ての人に友よ、と呼べるような世界のことを想像している。
余談だが、せっせと作っていた最新のイラク開戦MAPのファイルを誤って削除してしまった。これから最初から再び作り直そうと思っている。けっこう手間がかかっているのだ。これまで地図を二枚にしていたが、これを詳細地図一枚にまとめたいと思う。出来るだけ二重の手間を省き、効果的に表現していきたい。アイデアが次々と思い浮かぶが、それを具体的に表現するのは難しい。それでもけっこう楽しんで作っている。それは誰かの役に立っているという喜びでもある。私の作ったものに著作権云々は一切関係はない。自分のホームページに貼るなり、大いに利用してほしい。
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