03/01/17 (金)
 読者の方からメールが相次いでいる。とても嬉しい。あとで返事を出したいが、今はここでのお礼の挨拶で御免。誰かがこの日誌を読んでくれているということ、私という取るに足らない人間の心を少しでも知ってもらえる喜び・・・この嬉しさは何だろう?私が大事にしたいものも、そういうことなんだろうと漠然と考えている。新参野良猫グレーが私に懐いてきた。凍てつくような深夜の庭で、私の足元に絡み付いてくる。家の中に入れてあげたいが、我が家の八匹の猫族たちがそれを拒んでいる。グレー凍死するなよ、と祈る。元はといえば人間に捨てられた飼い猫、それを拾い上げる私のような人間を通報しようとする動きがあるようだ。野良猫に餌を与えるのは、かえって野良猫を増やし、地域住民に迷惑がかかるというわけだ。どうも納得がいかん。私も人間社会から弾き出された野良猫のようなもの、野良の人間と猫が一緒に暮していると思えばいい。それを許さない人間社会は、とっくに私のほうから捨ててかかっている。地球上の自然と命を絶滅させるだけの権限を、神は人間に与えたもうた。人間万歳、拝金主義の果てに待つは最後のデフレ対策戦争であることを、過去の歴史が教えてくれる。不況の巷ではまたもや戦争待望論が囁かれている。そうさ、そうして人間は多くの同胞の血を流しながら、軍需景気による経済復興を果たして来たんだ。平和を維持するための戦争という大いなるパラドックス、小泉経済改革は累々たる我ら中小企業の屍の上に勝利宣言するであろう。寒さに震えながら朝を迎えようとしているグレーよ、多くの小さな弱き者たちよ、さあ私を仲間に入れておくれ・・・いつか蘇えるために私は仮死状態となる。深海の底のような深い眠りの中へ、私は自分の心を沈めるのだ。午前3時現在の不眠症。

 午後3時現在、ペースのサンダーによる研磨及び修復パテ付け完了。水研ぎにかかろうとしたが、パテが乾かないため明日に延期する。今日は比較的足の痛みが少なくで済んだ。尿飲用療法を再開したためかも知れない。効果のほどは知りながら継続できない惰性を反省する。昼過ぎに妹が来社、彼女が持ってきたタイヤキが遅い昼食となる。正月明け、しばらく食欲がなかったが、最近ようやくご飯が喉を通るようになる。廃業騒ぎで精神的に疲れていたようだ。故父の創業およそ35年来の会社を辞めてしまおうというのだから無理もない。父と母の遺影に「申し訳ない」と謝罪する日が続いている。謝っても謝っても謝りきれない自分の不甲斐なさ・・・タイヤキから食み出すあんこを見ながら茫然自失している。それにしてもタイヤキを始めに考案した人は偉いと思う。子供の頃、よくキンツバを食べたが、あれは円筒形にあんこが入っていたものだった。タイヤキはおそらくそのキンツバから派生したものだと思われる。鯛の金型をつくるにはけっこう手間がかかることだろう。「およげタイヤキ君」という歌があった。そんな取り留めのないことを考えながら日暮れを眺めていたら、タイヤキが空を泳いでいても不思議はないように思えてきた。やはりまだ疲れているようだ。
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