午前1時半現在、眠れないままにこれを書いている。電話代節約のために、なるべくテレホーダイ時間帯に書き、ファイルを送信することにした。会社を廃業してからは極限の節約を強いられるはずだ。それこそ一粒の米も無駄に出来ないサバイバル生活に入る。正月からの酒浸りと不規則な生活で体も弱ってきているので、筋力トレーニングも開始したい。40キロのバーベルを持ち上げてみたが、なんと5回が限度だった。これを30回程度持ち上げるように戻す。近所の自転車屋からタイヤのチューブをもらってきた。これをエキスパンダー代わりに使う。しかし足腰の鍛錬には注意が必要だ。あまり負荷を与えると痛風が再発しかねない。今現在でも下半身が痺れ、歩くのにも難儀している。建築現場の仕事にはもう戻れないだろう。そのことを考えると絶望的になるが、障害があればこその挑戦と覚悟してかかるべき。
何より精神的な脆さを克服したい。二日前にもある先輩に会社廃業を伝えたとき「身勝手だ」との批判を受け、気落ちしては酒をくらっていた。以前に私をして「楽しようとして生きていないか?」と詰問した先輩である。これだけ苦しんでいるのに、それはないだろう・・・と思いつつも弁解は避けた。確かにそうした面もあるだろうと、今度は自分を責め始める。自虐も限度を越えると自殺する道しか見えなくなる。絶望の淵にあっても、何処かでUターンしなければならない。それが本当の勇気であり、強靭な精神力というものなのだろう。そこでは誰も助けてはくれない。自力で這い上がるしかない。しかし同時に、楽しめない人生は無意味だとも思う。「苦労は買ってでもしろ」という諺も、「今がどん底だ」と思うぐらいの環境にあっては意味を成さない。むしろ「楽しむ」ことを考えて何が悪いのだと、反発さえ感じる。苛酷な環境においては「楽しむ心」が唯一の特効薬ではないかと思うのだ。どんなに貧乏な生活でも耐えぬく自信はあるが、人の無理解と侮蔑にあっては耐え難くなる、というその一点において、私の脆さが際立ってしまう。今年はその弱点を克服したい。
午前11時頃から工場内のベースに着手、油を拭き取り、下地のパテ付けをする。正午、ストーブの前で即席ラーメンを食す。空腹のときは何でも美味いものだ。午後より二回目のパテ付けを開始、途中地元商工会の職員が来社、脱退届けに判子を押す。景気の動向など談笑しばし、意表を付く私の話に驚いたり笑ったりして帰った。これで我が社の廃業は地元一円に瞬く間に広がることだろう。再び工場にて作業を続行、ただ一心不乱に仕事に没頭する。足の痛みが軽いうちに仕事を終え、明日に備える。昨日今日と薄氷が張るぐらいに寒さ厳しく、靴下に市販の「貼るカイロ」を入れての作業となった。指先が悴かみ、思うように動かないのだ。本格的な冬の到来だ。猫たちもストーブの前から離れない。春を待たずに彼らの不妊手術もしなければならないが、今のところ手術代捻出のあてはない。生まれてくるだろう子猫を想像して途方にくれる。私の手で処理しなければならないときのことを考え、身震いする。人間でさえ生きにくい浮世のこと、命とはなんだろう?と・・・
幼なじみのヨシユキちゃんが死んだよ。首吊って自殺したんだって・・・ホントかな?・・・だって、このまえ会ったばかりなのに、ウソだろう?って、まだ信じられないんだ。誰が何と言おうと信じやしないぞ。シゲちゃんは何処にいるの?シゲちゃんてばさ、ヨシユキちゃんが自殺したんだって、信じないよね?信じられるもんか。ねえ、みんなで前のように機関庫の裏で遊ぼうよ。真っ黒になってさ、イタズラもするんだ。何でもありだよ。かあちゃんやとうちゃんが血相かえて怒るようなことも、何でもありなんだ。時間のフィルム巻き戻して、みんなで帰ろうよ。オレ、大人でいるの疲れちゃったんだ。きっとヨシユキちゃんも疲れたんだね。シゲちゃんは元気?ねえ、みんな、あの時に帰ろうよ。貧乏だったけど、元気だった少年の頃に・・・それならオレ、泣けると思うんだ。今は泣けないもの、涙も枯れてしまったんだ。少年のみんなに会ったら、オレやっと涙が出てくると思うんだ。や〜い泣き虫って、笑っておくれよ。鼻をすすりながらしゃっくりあげてさ、子供のように泣きたいよ。ねえ、シゲちゃん今何処にいるの?ヨシユキちゃんが死んだよ・・・【宛先不明のシゲちゃんへの手紙】
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