02/09/27 (金)
 コペンハーゲンで行方を断った有本恵子さんはモスクワ経由で北朝鮮に誘導されたとみられているが、この時の同行したのが八尾恵だった。その三年前には、田宮の妻・森順子(よりこ)がスペインで石岡亨さん(当時23歳)に接近している。1980年4月、バルセロナの動物園で若林盛亮(もりあき)の妻Kと共に石岡さんに接近した森は、その足で、マドリードに石岡さんを誘っている。翌5月には、同じく狙いをつけた松木薫さん(当時27歳)を加え、頻繁に食事をしては巧みにウィーンへの同行を勧める。ウィーンの叔母の家にフィアンセが来ているので、一緒に来ないかとの話であったという。そして石岡さんと松木さんはそのまま行方が分からなくなるのである。
左・石岡亨さん、右・松木薫さん 左・若林盛亮の妻K、中・森順子

 有本恵子さんの拉致事件にも森順子が関わっていたことは、コペンハーゲンのホテルの宿泊名簿に彼女の名が記されていることでも分かる。石岡さんと松木さんが行方を断ったのが1980年、その三年後の1983年に有本さんが失踪、つまり、森順子は欧州での日本人拉致事件には一貫して関わっていたことになる。さらに、それから五年後の1988年には、有本さんと石岡さんが一緒に暮しているという、突然の手紙が互いの両親の元に届くのである。これは拉致事件の疑惑を払拭させようとした北朝鮮側の指示であったろう。その後も田宮夫妻のこうした連携プレーは続けられたであろうが、1995年の田宮高麿の死によって幕を閉じる。これら一連の日本人拉致に、よど号メンバーの赤木志郎や安部公博たちはその関与を否定している。すでに八尾恵が法廷で告白証言していることを考えると、革命家の名折れであり卑怯というほかはない。そもそも彼らの拉致目的が「革命の継続のため、日本人男性の妻となる女性を探す」という身勝手なものであった。
魚本こと安部公博 赤木志郎
 ところでスペインで森順子と共に行動していたKなる女性だが、よど号メンバー若林の妻・黒田佐喜子のことだろう。マスコミが伏字にしているところをみると、まだ拉致事件の容疑者としては証拠不十分なようだ。それとも他に何か理由でもあるのだろうか。またコペンハーゲンのホテルに泊まったとされる福井タカ子と水谷脇子の両名は、それぞれよど号メンバー小西と田中の妻になっている。田中とは田中義三のことで、1996年3月に偽米ドル札使用の容疑者としてカンボジアで逮捕、服役中に無罪となり、日本に帰国して再逮捕されている。また森順子と黒田佐喜子はマドリードのホテルの宿泊記録にもその名が記載されている。魚本こと安部公博は、その妻の旧姓が魚本であることから魚本公博を名乗っているのだろう。よど号メンバーの殆どの妻が日本人拉致に関与しているという事実からも、その夫であるところのよど号メンバーの面々が関与していないなどとは考えにくいことであろう。
 【日本人拉致被害地図】60〜100人を越えるのではないかと云われている拉致被害者、随時更新予定。

 持病の痛風が再発した。左足首から右足の親指へ、およそ20日ぶりの激痛である。これで二日間は全く動くことが出来ない。不幸中の幸いで土曜と日曜は元請けも休みだ。仕事が入ることはない。左足もちょうど金曜日に発症して、三日後には何とか歩けるようになっている。今度も月曜には何とか立てるだろう。松葉杖も用意している。トイレにも立てないので、食事も少なめにしておこう。不思議なことに、これまで両足が同時に痛くなったことはない。いつも片足から痛み始め、もう片足に痛みが移ったところで治っている。だから今度の激痛も治る兆しなのだと、無理にでも思い込む。「痛風日記」なるサイトがある。痛風がどんなものか?この日記を読みながら思わず苦笑する。同病相憐れむ、というやつだ。いつものように猫たちが寝床に集結して、痛む足の上に乗っている。こういうときに可愛い奴らだと思えるほど、激痛に耐えている私はやっばり変だと思う。今夜はどうせ朝まで眠れないだろうから、この日誌を少し充実させたい。気楽なもんだ。でも痛いことに変わりはないのだが・・・二日間の我慢だ。

【視聴予定】
■22:00-23:00 テレビ朝日 ニュースステーション 拉致被害者家族が小泉総理に訴えたこと▽安否情報への不信…調査団が調べるべきこと
■23:50-24:00 NHK総合 読む 拉致解明と日朝
「じねん」TOP