02/09/20 (金)
10歳の子ども、イスラエル兵に撃たれ死亡
 ヨルダン川西岸自治区ラマラで19日、10歳の子どもがイスラエル兵に撃たれ死亡した。パレスチナ自治政府筋によると、ほかの子どもと通りで遊んでいる際に、イスラエル軍の戦車から銃撃を受けたという。ラマラには17日から外出禁止令が出ていた。イスラエル軍広報官は、銃撃の事実を認めた。
 実際には12歳の少年のようである。少年の名前はAbd El - Salam Fawzi、外出禁止令の中、父親のタバコを買いにいく途中でイスラエル兵に射殺されたらしい。
 幼い子供や赤ん坊までもがイスラエル兵に殺される事件が相次いでいる。イスラエル側に言わせれば「外出禁止令を破ったのだから仕方がない」ということなのだろうが、町全体を拘束しての無差別殺人は人権侵害も甚だしい。とにかく外に出るバレスチナ人は赤ん坊であれ問答無用に殺せ、という命令が下されているのは確かだ。我が子を殺された母親の悲痛が伝わってくる。父親のためにタバコを買いに向かう少年、それを狙い撃ちにする兵士、突然の死に戸惑う間もなかったであろう少年の心・・・その虚しいまでの喪失感・・・人間とは、命とは何なのだろう?

 昨日の日誌ではシベリア鉄道絡みでハバロフスクにおけるロシアと中国の領土権争いに触れたが、そのハバロフスクが北朝鮮の金正日総書記の出生に大きく関わっていることが分かってきた。公式では金正日は北朝鮮の北端、三池淵(サムチヨン)付近の丸太小屋で誕生したことになっている。三池淵のある白頭山は朝鮮民族のシンボルでもあり、それゆえに出来すぎた感が否めないところだろう。第二次大戦中の1940年前半、金正日の父親であるところの金日成はハバロフスク付近の訓練施設で対日抗戦のための準備をしていた。ハバロフスクから約北東70キロ地点のこの訓練施設はビャッコエ村にあって、中国共産党はこれを「北野営」と呼び、アムール湖畔にあったため一般に「A野営」とも呼ばれていた。まだ若き指揮官だった金日成は日本軍に追われ、ソ連極東軍によってウラジオストク北のオケヤンスカヤに抑留されていた。ここで金正日は生まれたといわれている。1942年2月16日のことであった。幼名はユーラと言い、のちにハバロフスクに移送され南野営の地で母親・金正淑に育てられたらしい。金正日の生誕地がソ連の抑留地であったことは、偉大なる金王朝の威光を失墜させるものとしてタブーとなっていた。

【視聴予定】
22:00-23:00 ニュースステーション 疑問さらに…北朝鮮拉致被害者”死亡”の真相は?隠された情報
23:00-24:10 金曜フォーラム「環境を守る農業」  立松和平ほか 
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