02/09/03 (火)
 今昼食時、食べものが喉を通らない。実は引き渡し日を勘違いしていたのに気付き、仕事を急いでいるところである。注文書をよく確認しなかったための多忙であった。明後日が引渡しということで、予定を短縮して作業を進めている。何とか間に合いそうだが、迂闊であった。今回は部品が多く、その分細かい作業に追われる。監督に再度確認の電話を入れながら、ミスを出さないよう努めている。

 今日も気温はどんどん上昇し、気温30度を越す真夏日となっている。昨日は室内気温32度を越している。屋外はそれ以上に暑く、最高気温は34度くらいにはなっているだろう。それでも屋外はときおり涼しい風が吹くからいいようなものの、熱の篭った我が屋内は蒸し風呂状態となる。食事はここのところザルソバ一品の日が続いている。米びつが底を尽いたためもあるが、やはりご飯がないと気力も失せるようだ。弟がお土産に買ってきたビーフの缶詰を開けながら、それを猫たちに与えている。私も食べたいのだが、缶詰が猫用となっている。そういえば牛肉などここ十年くらい口にしていない。猫用とはいえ、牛肉の匂いは食欲をそそるに十分すぎる。今夜は暑さに負けぬよう豚肉でも食べよう。

 東電のトラブル隠しによる引責辞任する役員は以下、南直哉社長は来月の中頃をもって、ほか会長、相談役、副社長は今月末で辞任するとのことである。ここにきて南社長は「これをもって原発に支障をきたすことはない」と言っていたことが印象的であった。原発安全神話の虚しき捨て台詞ではある。
荒木浩
会長
平岩外四
相談役
那須翔
相談役
南直哉
社長
榎本聡明
副社長
 この役員の中で最も影響力があったのは平岩外四であろう。1914年8月31日生まれの彼は、88歳の誕生日を迎えた一ヵ月後に辞任するわけである。幼くして父を亡くした彼は、雑貨商を営む母親に育てられる。東大法学部卒業後、東京電力の前身「東京電灯」入社、戦争ではニューギニア戦線において107名中の生き残り7名という体験をしている。終戦後、復職。以後とんとん拍子に出世して1976年に社長就任、1984年に会長となった。1990年、経団連会長(現在、名誉会長)。NHK経営問題委員、変わったところでは地球産業文化研究所(財)の理事長などもしている。
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