以下は、平成7年3月7日の熊本日日新聞「日曜論壇」の記事を書き抜いたものです。筆者は、斉藤学氏(精神科医)です。氏は東京都精神医学総合研究所の研究員で、慶応大学医学部の講師でもある方です。
氏は社会の「病理」(とくに日本人社会の「病理」)を鋭いタッチでえぐりだしてくれますが、その直截的な指摘はかなりな啓発を与えてくれます。
「まともな大人」の責任とは
押し付け親切
共依存とは、他人に必要とされる生き方のことである。
私たち日本人のつくる社会は、こうした他者配慮の見かけをとった利己主義(勝手にケアを押し付け、相手から見返りの配慮を要求する)に覆われていて、窒息させられるかのように息苦しい。こうした生き方の典型は、「世話焼きママ」にみられるが、おおかたの日本の子どもたちはこれに抵抗することもなく、母とはこうしたものだと思って、ママの押し付け親切を楽しんでいるようだ。そうした人々は大人になっても、社会からの世話焼きを期待するから、社会の方もケアのサービスを押し付けて、それをおかしいと思うことがない。
電車に乗ろうとすればベルがけたたましく鳴る。「ほら、鳴らしましたよ。電車が動きますよ。危ないですよ」と、まるで乗客を幼児のように扱う。「降りる人が降りてから、乗る人は乗りましょう」などと駅員ががなりたてる。車内では「皆さま傘のお忘れもののないように」などとアナウンスしてくれて、大変優しい。というわけで、日本の公共の乗り物には言葉かあふれ、うるさい。鉄道会社の従業員からみた乗客とは、「まるでガキ」なのだろうし、乗客もガキとして扱われると喜ぶように見える。
私は「ガキ」というと小学4、5年生ぐらいをイメージする。彼らは仲間うちでは足を引っ張りあって競合するが、先生には極端に従順だ。先生はガキたちを保護しようとして、いくつもの規則を作り、ガキたちは喜んでそれを守り、仲間の規則違反には目くじらをたてて先生に言いつける。そのようはガキ状態のまま心の発達が止まっているのが、日本の普通の大人たちのように私には見える。そうでなければ、こんなにくだらないさまざまな規則が、あちらこちらにあふれるはずがない。役所に「世話焼きママ」をされて苦しがらないのは、日本の大人たちをそれを求めているからだ。
仕方がない…
実はその役所の中もガキたちの競争(嫉妬をエネルギー源にしている)で保たれているのであって、その中に先生にあたる人がいるわけではない。ガキが集団をつくって先生のフリをしているとは、今度の大地震のような非常事態のときによく見える。地震は確かに天災だ。時の政府が招いたわけではない。その直後の対応に抜かりがあったことも、今後の反省に種にするほかないだろう。そこまではいい。
しかし、まともな大人であれば、自分に与えられた権限を用いるべき時に行使しなかったことについて責任をとる。まともな大人なら、権限を持つ者の責任を、その人物への好き嫌いや利害得失を超えたところできちんと指摘するものだ。実際には震災発生から2ヵ月間、そのようなことは何も起こらなかったし、現内閣を支持する割合も震災前と大して変わっていない。こうして、情報伝達の遅れについても、初動対応の手抜かりについても、だれがどのような形で責任を負っていたのかもわからないまま、すべては「仕方がなかった」ことになっていく。この前の戦争の始まり、終わりの時と同じだ。私たちは「責任を取るべき大人」を欠いたまま、嫉妬を燃料としてあてどなく漂流する珍奇な「ガキ国家」の中に生きている。(〜以下は個人的な色彩の濃い内容なので略〜)
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「世話焼きママ」の実例としては、ぼくもよく目撃するものがあります。それは、小中学生の朝の通学時、信号機のある横断歩道で、教師や当番の保護者が黄色い旗を遮断機のようにかざして子どもたちを渡している光景です。いったい何のための<歩け>の青信号なのだろうか、と過剰な「保護」ぶりにフッと溜息が漏れてしまいます。
ところで、今回の「ガキ」という表現はあまりにぶっきらぼうで、その表現自体がかえって幼稚な感じがして好ましくはないのですが、筆者としては、むしろその程度の表現しかふさわしくないと判断しているのかもしれません。
それはともかくとして、上記の引用を取りあげたのは、実は、つぎに揚げる文章で主張しているものと、基本的に一致するものがあると思ったからです。この文章は、平成4年10月28日に、熊本空港の売場から何の気もなく買った『週間ポスト』の記事のひとつをわたしなりに要約したものです。これは、吉本隆明とある評論家(名前を失念)との短い対談形式によるもので、現政府(村山内閣)をけなし、やや小沢一郎を擁護した内容になっています。タイトルすらも覚えていませんが、その内容については以下のとおりです。
大東亜戦争は、一兵卒の意識には侵略戦争ではなくアジア開放闘争の感覚があった。
敗戦時20代の者たちは、少年時熱烈な天皇崇拝者だった。戦争に敗けたとき、山にこもってゲリラをしようかと真剣に考えた。この意識が、敗戦後のナショナリズムを湧きあがらせた。そして、そのナショナリズムの燃え滓が反米意識となり、左翼イデオロギーを借りながら米軍基地反対闘争へとむかい、60年安保まで続いた。
しかし、日本には社会全体をおおう「皮膜」がある。「皮膜」が実態のような世界がある。それは、天皇制的なもの=朝日新聞的なものであり、(天皇制的な)無責任システムともいえる。
かつて、大久保利通や原敬は、イデオロギーで保守でありながら、徹底した合理主義者であろうとした。しかし、このタイプはみな殺されてきた。小沢一郎もまた、イデオロギーで保守でありながら、徹底した合理主義者であろうとしている。保守でありながら、天皇制の皮膜を破ろうとしている。一方、日本浪漫派の王朝的な雅びの世界のなかを生きていた三島由紀夫は、自衛隊を扇動しようとして自刃した。
日本は「皮膜」を打ち破り、世界に対して、非軍事的大国として積極的に発言していかなくてはならない。日本国がしっかり強力に自分をもたなくてはならない。その根拠を何に、どこに求めるか……三島は急ぎすぎた。小沢も急いでいる。
対話を文章としてつなぐために、若干自分なりの表現を入れていますが、大意は外していないつもりです。わざわざ引用したのは、先にも述べたとおり、ここで使ってある「皮膜」という比喩的表現が、ぼくには、佐藤氏のいう「ガキ国家」における「世話焼きママ」のことを指していると思えるからです。
日本という(地理的に)小さな島国が、「国=家族」という旧体制下の集団主義的エトスをいまなお強固に保持している以上、日本列島は永久に「皮膜」に覆われたままであり、役所の「世話焼きママ」とそれを当然視する「先生のフリをしたガキ」の集団を乗せ、各人(各企業)が自分たちの目先の利益を求めて、国際社会のあちこちで顰蹙を買いながら、ひょっこりひょうたん島よろしく、おっかなびっくり航海していくことでしょう。
お世辞にも「カッコイイ!」とは言えませんね。