私は過去40数年間日本の国内政治をウォッチしてきました。今日ご出席のヒールシャーさんがお書きになった日本の政治家の人物評論のコピーを頂戴しましたが、大変面白く読ませて頂きました。私の人物論とよく似通っております。
さて、本日はまず、基本的な観点を三つ指摘したいと思います。一つめには、今日の日本の政治状況は非常に流動的で、別の言い方をすれば過渡期と言えましょう。具体的に言えば、共産党は別にして各政党とも求心力をなくした状態になっていて、皆さん方には非常にわかりにくいだろうなということが基本にあります。
二つめには、テーマの小渕現政権は非常に弱体な政権である。トップにリーダーシップがない。7月の参議院選挙で自民党が過半数を割り敗北して、橋本さんは首相を辞めた。辞めたことは橋本さんの見事な進退だったと思います。しかし、その代わりに自民党が作った新総裁・総理の選出がまったくミスキャストであったことが今日の混迷に拍車をかけていると見ています。
三つ目には、基本的なことですが、今の既成の政治家は今の日本が置かれた立場の深刻さの認識が足りない、あるいはそれは国民全体かも知れませんが、その問題が根本にあります。日本は1945年に敗北して約10年経済的に困難な時期を過ごしました。その後50年代後半から30年近く世界にもあまりない経済発展を遂げ、経済大国を築き上げました。多くの政治家には30年間の大成功、大発展が頭にこびりついていて、今日それが殆ど崩れ去ったとの認識がないことが今日の混迷を招いている訳です。
次にここ10年に起きたことについて話をします。80年代後半、米ソ冷戦終焉、ソ連崩壊があり、プラザ合意があって世界の政治と経済の仕組みが変わってきました。また日本国内では急速な高齢化社会がやってきました。85年からこれまで13年間に世界は大きく変わった。にもかかわらず、そうしたハッピーな時代の日本が忘れられない日本人、政治家、リーダーが多数だった。これが今日の困難な日本を作り出したと思います。
中曽根康弘元首相は、国民の中で毀誉褒貶が相半ばする人物ですが、彼が80年を中心に政治を担当した5年は今から振り返ると大きなターニングポイントであったと思います。彼はサッチャー首相、レーガン大統領が登場し、世界が変わることを敏感に察知して、サッチャー・レーガン・中曽根という形で米ソ冷戦を終結させソ連の敗北を実現したと思います。国内政治面では25年間、四半世紀間の日本のハッピーな状況は終わったという認識のもとに、行財政改革、教育改革という大きな旗印を立てて日本では珍しい5年間の長い政権を担当しました。
彼の認識の基礎にあったのは三つのテーマでした。第一に急速な国際化の時代が来る、これに日本が対応しなければならないこと、第二には急速な情報化、情報産業化の時代が来ること、第三は急速な高齢化が到来していること。この25年の日本の発展を支えた労働者、働く国民が急速に老化し、生まれてくる子供も少ない高齢化社会。これら三つへの対応が日本の運命を決すると認識した訳ですが、その認識は正しかったと思います。しかしそうした成功をエンジョイしてきた国民、特にその成功に利益を得ていた人達はなかなか改革についていけなかった、時間がかかり、中途半端でもあった。
96年、橋本政権が発足しました。橋本政権は中曽根改革の後を引き継ぐと言って、六大改革という大変な大風呂敷というか、錦の御旗を掲げました。橋本六大改革は第一が行政改革、第二が財政改革、第三が教育改革で、いずれも中曽根改革の継承ですが、四つめは民間経済も変化に対応できなくなっているとして経済構造の改革、五つめは金融改革。これもサッチャーさん以来のイギリスがお手本で、金融ビッグバンを提唱しました。六つめは社会保障改革です。
民間経済の構造も変えなくてはいけないという新しい改革、その一番先に来たものが金融改革であった訳で、これらが今の日本の最大の政治問題となっています。橋本政権は96年1月にスタートして10月の総選挙で勝利し 、その直後六大改革の御旗をあげました。国民も10年来の日本の閉塞状態が分かっていたのでこの六大改革に拍手喝采を送り支持しました。それからちょうど1年近く、去年の夏には橋本政権は60%の高い支持率を獲得しました。
50年間の日本の戦後政治の中で60%を超えた内閣支持率は過去に3回しかありません。一回めは敗戦、占領から講和条約を結び独立を成し遂げた吉田茂、二回めは72年の天才的政治家の田中角栄、三回めは93年長い自民党政治に終わりをもたらした細川護煕を中心とする非自民政権が登場した時で、国民は70%の支持を与えました。四回めが橋本政権であります。橋本氏は97年9月に自民党総裁に再選されましたが、この時が彼の絶頂期でありました。以後急速に下り坂になりました。
橋本首相の下り坂の原因は人事の失敗以外に二つあります。一つは、国民は改革の旗印には賛成しましたが、それは総論で旗を立てている間のことで、去年の秋を境に各論、具体的な案を作り出したら、各論反対に転じた。国民はこの改革が自分にどういう犠牲を強いるのかを考え始めました。それが第一の反対の理由・原因です。第二の原因は昨年9月に急速に襲ってきた不景気とアジアの金融危機、これが同時に日本を襲ったことです。そこで橋本政権はいよいよ転落の道をたどり始めた訳です。
橋本改革は21世紀を目指すと言う壮大な夢を持って改革を始めたけれど、その改革は国民に負担と犠牲を強いるということが隠れていたのです。そこへ経済、景気が駄目になり、おまけにアジアの危機が襲ってきて国民としては橋本政権は信頼できないと映った。国民の感情が変わった。改革は壮大な夢だけど、足元の景気をよくしてくれ、金融危機を打開してくれと言う声に変わった。同時に国際的にアメリカはじめとしてアジアで問題になっている金融危機に手を打て、そのもとになっている日本経済の悪化を直す具体策をとれというように国民世論が変わったきたのですが、それに対して
橋本政権は的確な対応をとれなかった。それは何故かという疑問がわいてきます。その理由の一つは、橋本政権は昨年の春に実質9兆円の国民に対する負担増を求める政策をとった。消費税の2%増、医療費の値上げ、特別減税の中止で計9兆円。改革のためには国民負担が増えるのだという政策だった。その直後に不景気が襲来したため、急速な政策転換ができなかった。基本政策の転換は重大であり、政治責任をとれということになるし、野党は勿論、世論も攻撃するであろうということから橋本政権は政策転換できなかった。
アジアの経済危機が続き11月になると北海道拓殖銀行や山一證券という大企業が相次いで倒産した。橋本政権は11月から年末にかけてようやく政策を転換し始めましたが、非常に不十分でした。アメリカからはtoo little, too late と言う批判があり、日本の国民もそう思いました。昨年秋から半年あまりそのような状況が続き、7月の参議院選挙で自民党は予想以上の敗北を喫して橋本首相は政権を放棄しました。そういう経過です。
少しここに至る経緯のお話が長すぎました。橋本退陣後のことをちょっとお話します。
橋本総理が責任をとってやめた後、自民党は新しい総裁選びをしました。その結果、7月末日に小渕恵三という新しい総理総裁が生まれまして、小渕内閣が丸3ヶ月経過した、というのが現在の状況です。これが失敗であったという意味は、ヒールシャーさんも引用しておられますが、総裁選挙で出てきた3人の候補を、田中角栄さんの娘さんである田中真紀子さんが痛烈な批評をしました。名前は言わなかったのですが、一人は凡人であると、小渕ですね。一人は軍人であると、梶山静六、一人は変人である、これは小泉純一郎、これほどまことに厳しい評価はないと私はうなったのでありますが、結果、凡人の小渕さんが選ばれたということですね。
私がそれをミスキャストであるという意味は何か。私には、小渕という人の個人攻撃をする気はありません。小渕さんはまことに善良な、バランスのとれた、四方に配慮して物事を調整してまとめるという、ある意味では理想的な政治家です。ところが、この人はつまり平時のリーダーであり、今までお話したような10数年来あるいは昨年来のこのものすごい乱世、非常時、あるいは戦争に等しい状況のトップリーダーとしてはまったく不適任な人です。やはりこういう乱れた時代にはトップリーダーは決断力がなければならない、指導力がなければならない、小渕氏はそれと縁がないといっていい人物です。だから私はミスキャストだといっている訳です。
私は7月下旬総裁選挙が行われている最中にあるテレビに出ました。誰が総理総裁にはふさわしいかという質問がありましたので、私は3人の中では梶山さんにしたらいいと、言いました。というのは梶山という人は確かに田中さんが言った通り軍人的な非常に荒っぽい政治をやる人です。しかし、こういう非常時には梶山氏を3ヶ月か半年やらせたらどうだろうと、そして危機を収拾して後はもっとバランスのとれた政治家にしたらいいと言ったのですが、結果は逆で、小渕氏が出てきました。
今、後継はどうするのだ、梶山はどうかという話がありますが、梶山氏がこれから出てきて果たしてこの非常事態を収拾できるか、too lateになるのではないかと思っているので、私がミスキャストだと、前と後が間違っていると、手順が間違ったと言うのはこういうことです。
ちょうど小渕政権ができて丸3ヶ月です。3ヶ月何をしたか、金融対策で明け暮れて3ヶ月が過ぎました。景気対策はこれからだと言っているわけです。そのために臨時国会を12月に開く、そして大きな景気対策を出すと言っていますが、私はtoo lateとはいいませんが、少し時間をかけすぎると思っています。しかし3ヶ月、とにかく金融問題は、なんとか当面をクリアしたと言えるかどうかわかりませんが、長銀は結局つぶれました。そういう結果になった。
マスコミがよく言いますように、これには与野党問わない若手の実務家たちが大変活動しました。そしてようやくここ迄結論を導いたわけですが、その間既成のボス政治家たちは何もしない、むしろ若手が活動する邪魔をしたといってもいいくらいのことで、時間を空費したと思います。特に小渕総理はまったく存在感がない、ここぞという時にでてきて指導力を発揮するということができなかったわけです。それが司令塔なき日本の現状です。司令塔のない政治というのは悲惨なことになると、私は非常に厳しい採点をしているわけです。
では今後小渕政権はどうなるか、いつ政権交代が起こるか、そしてそれはほとんど次の総選挙はいつか、という問題でもありますが、それをちょっとお話します。
小渕政権は長く続いたとしても来年の9月だといわれています。それは、橋本前総裁が去年の9月に再選されていますから任期2年の途中でやめた残りを小渕がやる、その小渕が再び総裁に名乗りあげるかどうかはわかりませんが、だいたい来年9月までなんだという了解が日本の政治ではされています。来年の9月が限度だとすれば、あと10ヶ月しかありません。その間に、今までお話してきたような政権ですから、いつ突然辞任するか、辞めさせられるというハプニングが起こるかもわかりません。
私は、大きな節目は年末に一つあると思います。それは12月臨時国会を開いて景気を回復するための補正予算、あるいは日米ガイドライン、等々重要な法案が出てきて、それを処理してあるいは処理できなくて、年末に政変が起こるという可能性が一つあります。もう一つは年を越しますと通常国会です。これは新年度の予算案が出てきます。これは途中で放り出すわけにいかない、とすると3月の年度末の予算成立という一つのターニングポイントがくる、しかも日本は4年ごとに統一地方選挙というのをやりますが、これが来年の4月に予定されています。この3,4月にかけてあるいは政変かという推測があります。
そこを通り過ぎるともう9月がすぐですから夏の総選挙ということになりかねない。衆議院議員の任期は99年の10月まであるわけですが、日本の総選挙は4年の任期の2年半から丸3年というところで行われています。過去の実例がそうなっています。つまり4年のうち2年を過ぎれば議員の人たちもそろそろ選挙だなと覚悟するわけです。来年の9月には丸3年になりますし、年末年始が過ぎるとほぼ2年半が経過するわけですから、春先あたりという推測があります。
しかしこれはまったく推測の域を出ない、何故かといえば、後継がもう誰になるかまったくわからない、しかもそれが自民党の中から選ばれる可能性があるのかどうか。各政党全体が今ばらばら状態ですから、流動化状態ですから、どういう組み合わせで連立内閣あるいは野党からリーダーが出るのか出ないのか、それすらわからないということです。
問
今のような混乱時、戦時のような緊急事態の時に小渕さんが選ばれたということについてのお話をされまして、3人の中で梶山さんが選ばれた方がよかった、しかし今梶山さんがやっても遅すぎるかもしれないということをおっしゃいましたが、現状も戦時のような状態か、それとも経済混乱の状況はとりあえず脱したとお考えですか?
答
私は金融問題はよくわかりませんが、やはり金融問題については一応の枠組みが作られたと思います。ただこれをマーケットがどう受け止めるのか、もちろん不確定の要素は大きいわけですが、やはり一応の金融小康状態の中で、景気対策というものに今重点を移しているところだと思います。すぐにパニックがくるというようなことではありませんから、少し腰を据えた政策対応という段階に移ったと思います。マーケットのことはわからないながら、日本が今にも沈没しそうな状況はクリアしているのかなと思っております。
皆さんの国ではどうかわかりませんが、日本のジャーナリズムの仕組みも新聞社の仕組みも政治記者なら30年政治記者、経済も同じようにセクトが非常にあります。反省として今言われていることは、経済がわかる政治記者がほとんどいないということです。経済の方も政治は知らないということになっていて、日本の報道特に金融問題についての報道には限界が出てきていると、OBとして痛感、反省しております。報道機関もその問題に今直面していると思っています。情けないことですが、一言申し上げておきます。わからない者が、わからないでやっている政治家たちを批判しているのですから、国民にわかるはずがないと、極端に言えばそういう状況が今度の件で出ていると思っています。
答
最後の支持率の問題は、私が長年政治をウォッチしてきた経験則で申しますと、だいたい新しい内閣は4、50%でスタートするわけです。半年、1年経ちますと、下がってくるのが普通ですね。30%そこそこになったら、交通信号でいえば黄色い警戒信号だという。それで、20%そこそこになったらだいたい赤信号で終わりが近いという経験則があるんです。それで、ずっと見ておりましたら、小渕内閣は30%ぐらいから出発してるんですね。歴代内閣より低い。そして、それが今おっしゃった、ある新聞が17%というのを出した。他の新聞はまだ20数%でしょう。それでも、成立時より3ヶ月で10%は落ちてきておりますから、私は、いずれの新聞・TVにおいても20%を割ったら、いくらなんでもそう頑張りきれるものではないと思います。従って、10%前半になったら、何らかの形で辞めざるを得ないということかなと思います。日経新聞が17%というのを初めて出しました。それが、他の新聞も20%を割るということになると、そこから何か起こるかなということはあると思います。
ただ、初めに申したように、今はどの政党も求心力がなくて、特に野党は連合して内閣不信任案を出すというまとまり方が出来ないという状態が続いています。参議院では問責決議案というのを出しました。しかし、あれはすぐ辞めなくていいということですから、成立したのですが、問題はやはり自民党だと思いますね。自民党の内部で、梶山グループとか亀井グループとか、あるいは若手の集まりとか様々な動きが出てきているのは、これは小渕政権は長くない、従って、もし万が一小渕が辞めた場合にどんな受け皿ができるかということを巡って、今盛んに毎晩毎晩集まっているんでしょう。その受け皿の中には、どうしても野党の一部と手を組むという問題が出てくるので、ある意味では野党の奪い合いが始まっている。奪い合いというのは、よく新聞に、自民党が自由党と保守同士の手を握るんだとか、あるいは、公明党という特別な政党を味方にするという動きが既に出ている。しかし、同時にそれは、野党第一党の民主党もまたなんとかして野党連合というものを作りたいということなんですが、残念ながら、自民党なり民主党が一致団結して求心力を持って相手党と取り引きをするということが出来ない状態ですから、長年政治を見てきた私にもなかなかはっきりしたお答えがしにくい。
それから、もう一つ基本的なことは、政治家が非常に貧困であるということですね。優れたリーダーが少なくなっているということですね。これは、過去の日本では誰か辞めた後は、あの3人、あの5人で争うということがはっきり出ていた、つまり次の候補者が明快に分かっていたんですね。ところが、今は、極端に言えば誰もいない。まあ、自民党内では、先ほど言った梶山という人が待機している訳ですけれども、彼が小渕に代わる新しいリーダーだという、求心力のある党としての決定ができるかといえば、できない。野党では何と言っても菅
直人ですけれども、彼も民主党の中では様々なグループがあって、まあ、今すぐ首班指名選挙があれば野党としては一応菅
直人でまとまるしかないということでしょうから、やはり今目に見えるのは、梶山と菅ということでしょうか。もう一人、小沢
一郎というなかなかの政治家がいるんですけれども、彼をトップに据えて大きな政党連合ができるという可能性は非常に少ないと思います。日本のオピニオンリーダー達の中には、内心こういう戦争に等しい状態の時には、小沢が一番の適格者であるという見方はかなり広がっているんですが、それが表に出て、その通りになる可能性はかなり少ないということだと思います。
恥ずかしいことですが、日本が50年の間にリーダーを育て損なっていると思います。イギリスのブレアさんとか、ドイツのシュレーダーさんの様に、若手が突如脚光を浴びるということがなかなか難しい、これはまあ、国のかたちであるかもしれませんが、問題だと思います。若手の政策マンが出てきたというのは、日本の政治に一つ明るい兆しが出てきたなとは思っていますが、なかなか難しい。むしろ、今の窮迫した局面を救うとすれば、中曽根であるとか、宮沢であるとかいう話になる。これは、時代錯誤で、私は40年来宮沢さんとは友人なんですが、残念ながら彼も高度経済成長期の輝いたリーダーであって、今日、政治・経済、世界の状況が一変した時にすぐ対応できるリーダーとしては、この3ヶ月やられたことを見ても無理だなと思います。中曽根さんも、宮沢さんも80才ですから、それはちょっと時代錯誤の再登場になるだろうと思っておりますので、ますますもって、人がいないという嘆きになるということです。
答
最後の質問ですが、一昨年の総選挙で自民党が勝った、そこで、やはりこれは日本人論になるんですが、強い方、大きい方へついていけという流れが出てきて、ますます橋本自民党が強大になったわけです。その流れは今度の参議院選で完全にストップしました。では今度は、望みのある野党に流れていくかといえば、それもない。現在、満潮でも干潮でもないというところに止まっているということだと思いますね。しかし、政党の枠自体は非常に崩れ始めている。それが、どんなきっかけで、あるグループが突然他の政党のグループと手を結ぶかということが、今政治記者は一生懸命駆け回って取材をしているんですが、分からない。分からないというのは、それは一気にそういう動きがでるというところまで状況が煮詰まっていないんです。結局は、1年以内の次期総選挙まで混迷と流動が続くということでしょう。
それから、第一の質問に関しては、小沢という人はそういう風に見られるところが、どこか問題があるんですよ。これは当代一流の政治家だが、この数年自民党が小沢こそは我が党の敵であるといって総攻撃したことが効を奏して、小沢悪者論が出来上がってしまったんですね。それを打ち破るのはなかなか難しい。私は、自民党というのは大変なキャリアの政党だから、小沢は潰した、この次は菅だという狙いをさだめている思いますね。その辺が、自民党の方が政権党としても長いし、したたかな政略のノウハウを蓄積していると思っています。これは答えにはならないんですが、私個人は小沢
一郎という政治家は惜しい政治家だなと思っていますが、彼がすぐにもトップになり得るかというと、それは非常に難しい。むしろ、ポスト小渕の新政権で、例えば梶山首相―小沢副総理の組み合わせなどが取沙汰されていますね。
これまでと違うのは、大自民党が他の党を吸収して作る政権はもう難しいと思います。そこが、日本の政治のここ数年の変化だと言える。私から言わせると、それはいいことです。政権を独占している政党が20年も30年もやる政治というのは、私たちの議会制民主政治論から言えば全くおかしな話で、ある種の独裁制みたいなものですから、やはり政権交代のある政治をどうやって作り出すかというのが、私の40年来の宿題です。それがどうやら少し見え始めてきたかなと、期待と希望を持ちながら、政治ウォッチャーを続けていくつもりです。