金融危機(1998年夏)
【はじめに】
米国流の金融システムをそのまま移植できないという考え方は、経済ナショナリズムともいうべき偏狭さを露呈しているが、これはもともと資本主義の本質を理解していない無知さ加減に由来している。こういう向きには『小室直樹の経済学原論』の一読を勧めたい。
なお、以下では『エコノミスト7/21号』の各論稿を自分なりにまとめてみた。
【金融政策の基本】
マーケットが期待していることは、債務超過銀行の破綻を認定し、速やかにマーケットから退場させることである。
国が金融機関に債権放棄をさせて、塩漬けになっている土地を動かすことが肝心である。今、政府に求められるのはブリッジバンクの創設ではない。まず銀行に債務免除を強制することである。それをするにあたっては多額の引当金を積んでいる銀行に対して、それを取り崩して使え、と強制するだけでよい。
銀行はこの数年間、低金利政策の恩恵を受け続けていおり、引当金を積むだけで法人税はろくに払っていない。さらにはこの3月に公的資金もうけた。このように、国は銀行救済策を続けてきたのだから、これからは数値目標を設けたうえで各行に債権放棄を強制すべきだろう。これまでの救済政策の貸しを返してもらう時なのである。
政府の金融当局は自己資本比率を確定させ、早期是正措置を厳正に実行するべきである。アメリカでは、Tier泄式によれば、3%未満の場合は増資や合併による自己資本の回復が義務づけられる。2%を下回ると、90日以内に財産管理人または破産管理人が選定され閉鎖される。
アメリカでは、借り手保護の思想はない。アメリカで借り手保護の思想がないのは、ひとつには金融機関と長期契約をせずに(短期借入れをくり返して)長期資金を調達することがほとんどなく、借り手はその債務が(金融機関にとってはその債権が)、第三者に譲渡されたところで借入れを続けることができるからだ。そもそも長期運転資金を短期の借入れをくり返すことでまかなってしまう一部の日本的な慣行に合理性がないだけのことであり、それは自己責任のルールが歪んでいるといえるものだ。
では、金融建て直しの具体的方策としては、まず務超過銀行をはっきりさせること。つぎに債権放棄をさせること(平成の徳政令)。この徳政令(棄損令)はゼネコンの再建を狙ったものだが、ゼネコンがこれで復活するとは考えにくく、実際のところはバンクからの離縁状である。
債権放棄(強制引当)によってバンクの一部は債務超過に陥り破綻する。そこで日本型ブリッジバンクが登場する。破綻銀行の業務をBBが吸収し、破綻銀行自体は清算業務に入る。しかし、ゾンビバンク(営業を続ける破綻銀行)を造ることは問題の先送りである。
そもそも、だれが「破綻」を宣告するのかがはっきりしていない。政府か金融監督庁か自己申告か。政府・金融監督庁の場合、補償もしくは訴訟の対応が必要となり、当局は、実務上の負担が過重になることを懸念している。しかし、自己申告の場合はこのシステムは機能しないであろう。
【不良債権の証券化】
証券化とは、資金調達者(一般的に企業)が保有するローン債権やリース債権、売掛債権などを自社のバランスシートから切り離し、その資産が生み出すキャッシュフローを原資として元利金の支払いを行う商品を発行する金融手法のこという。その特色は、資金調達者である会社としての信用力(各付け)ではなく、対象となるキャッシュフローそのものの信用力を背景にしていることである。
アメリカでは不動産投資信託(リート)という個人などの投資家から金を集めてファンドをつくり、そのファンドで不動産を買い上げ、キャッシュフロー(賃貸利益)を投資家への配当へ回すという証券化がはやっている。
SPC法整備による証券化にしても、銀行が持っている不良債権はキャッシュフローを生まない物件が多く、不動産の証券化は難しい。不動産の流動化が進むかどうかは、土地の下値がはっきりすることである。値下がりがリスクを抱える間は、投資収益率をはじくことも難しい。
【労働市場の開放】
日本では、労働力の供給が5年後には減少に向かう。こういう好ましい状況が控えているにもかかわらず、現在、失業率が急速に上昇しているのは、もっぱら景気対策の失敗による。
規制緩和の経済活動に及ぼすプラス面として、企業活動の生産性向上やコスト削減効果、およびそれが新たな分野での雇用を創出する効果などが挙げられる。また、企業の外注化による個々の産業分野での雇用の減少は、対事業所サービス産業の雇用増加にシフトする。さらに、人材派遣業という派遣労働形態がますます増加する。
こうした規制緩和の効果は、経済活動の血液を供給する役割を担う金融と労働市場の分野でもっとも重要である。