テーマ いじめについて
95年1月21日
日本放送協会1月放送 中学生日記 いじめの問題についての番組出演の中学生の討論で,次々に出てくる中学生の発言を,主にその理由に注意しながらメモをとり,KJ法で,まとめたものです。
従って,以下の文章は,各人の意見の意味の似たものを寄せてそれをつなぎあわせたものです。
いじめの実態とその理由はなにか。
意見1 いじめとは何かをよく考えてほしい。
「いじめ,いじめというが,そう取るほうに問題があるんじゃないか。」
「いじめはそんな生易しいもじゃない。それは,犯罪にちかい。鞄をわざとほうりだす,そして画鋲をさす等,いじめは本当にこわい。ひとのポケットから落ちたお金をこちらが拾ってあげたのに泥棒よばわりされた。ストレス解消のためというには,あまりにも怖い。」
「たしかに,そうだ。いじめには,刑罰がないからだ。刑罰をあたえよう。」
「いじめについて,話し合いがなかった。いじめがどういうものか,おしえあったり,話し合ったりしよう。」
意見2 子供も大人も知らん顔だ。
a.大人が知らん顔をする。
a−1.先生や親は知らん顔だ。
「いじめられたことを,先生や親に言っても,分かってくれない。」
「こどもの身になってくれる大人がまったくいない。」
「いじめられている子は,誰にも言えない子が多い。相談する人がいないからじゃないか。」
「(親や先生より)友達のほうが,まだいいくらいだ。」
a−2.先生が,知らん顔をする。知らん顔をするのは,わが身かわいさ。
「先生に直接言ってもわかってくれないので,先生は信じられない。」「中学1年に転校してきたときからずっといじめられたのに,先生は,認めてくれない。」
「先生に言っても,いじめられるほうが悪いといわれる。」「先生に直接相談しても,いじめられるほうがすきをみせるからだといわれたが,これはおかしい。」「親から言ってもらっても,いじめられるほうが悪いといわれた。」
「先生が,いじめについて訴えても,とりあってくれない理由がわかる。先生にも家族がいて,生活がある。PTAもあるし,何かへたなことを言って,先生もやめさせられると困ると思う。」
a−3.先生によるいじめもある。
「修学旅行に行った時,友人にいじめをうけた為に集合に遅れたのに,先生は,信じてくれなかった。おまけに,先生からいじめられた。」
a−4.父母の愛情は,足りているはずだと,信じる。(涙を流しながら)
「わたしは,家に母がいつも居てくれるので,自分のことは,分かってくれている。(涙を流しながら)」
「私の家は,共働きだが,父母の愛情はないわけじゃない。(涙を流しながら)」
b. 同じ中学生でも,いじめを傍観している人がいる。
b−1. いじめられている人を,中学生の仲間として,かばうべきだ。
「ほんとの親友ならば,かばうべきだ。」
b−1. いじめられている人がいても,私は,助けない。
「私は,弱い人間だから,自分も巻き込まれたくない。だから,助けられない。」
「いじめがあっている時,好きな人であっても,嫌いな人であっても,私は,どちらにもつかない。その訳は,自分の心が,割り切れないから。」
「私は,いじめられている友達に嫌われてでも,そのいじめられている友達の悪いところ(いじめの原因になっている部分)を,指摘してあげることができない。」
意見3 いじめられる理由と対策(強い子には逆らえない。でも,自己主張し,自ら仲間に働きかけよう。)
a. いじめられる理由(NOといえず,強い子にはさからえない。)
「権力が強い子がいじめる。」「権力のある子にいわれたら,逆らえない。他の人にいじめがあることを教えたとき,卑怯よばわりされた。」「お金を持ってこいと言われて,持っていった。」「お金を持っていくのは,先輩には,逆らえないからだ。」
b.いじめられないための対策(自己主張し,仲間に,自ら働きかけよう。)
b−1.NOと言える人になればよい。
「やめてくれと言えば,いじめはなくなるんじゃないか。」
「お金を持ってこいと言われても,NOと一度言ったら,それを貫けばよい。」
b−2.自信を持ち,負けないぞという気をもとう。
「自分に自信がないので,いじめられるのだと思う。」
「負けないぞという気もちのある子は,いじめられない。」
b−4.友や大人に自ら働きかけれよう。
「暗い人が,いじめられる。友達を作っていけば良いと思う。」
「私の好きな人が,先輩も好きな人だったため,それでいじめられた。でも,仲の良い先輩がたまたまいて,相談し,解決できた。」
「大人に言えば,解決できると思う。」
意見4 いじめる側の理由とそれに対する批判
a. いじめる側の理由(うじうじしている。みんなと違う。自分もいじめられたから。)
a−1.うじうじしているからだ。
「うじうじして,手際の悪い子をいじめる。」
「うじうじしている為にいじめにあっている人は,『そういうところが悪いから良くしろ』と一言言えば,わかるべきだ。」
「(指摘されたいじめにつながる欠点を)自分で直そうと努力しない子が,いじめられる。」
a−2.皆と違うからいじめる。
「女の子の前で,格好をつけるやつをいじめる。」
「髪が,天然パーマだからという理由でいじめる。」
「一人だけ目立つ,例えば,かわいいからという理由でいじめる。」
つまり「いじめっ子は,自分たちとここが違うという理由で,差別する。」
だから「人は,みんな違いがあるので,いじめはなくならないと思う。」
つまり「家庭の事情の違いや,体の違いはみんなちがう。例えば,体の大きい子,小さい子,みんな違う。だから,いじめはなくならないと思う。」
一方では「 私もいじめに加わって,心の狭い人間になっていくようで怖い。やめなきゃと本当は思っている。」
a−3.いじめているほうもいじめにあったり,親や学校からのいろんな強制で,ストレスがたまっている。
「いじめられる子は,弱い子だけど,いじめる子も,元はいじめられてた子。いじめっ子は,人をいじめることで,自分を強くみせている。」
「いじめっ子は,部活や学校,家庭では塾とかあって,ストレスが,たまっている。それが原因でいじめにつながっているんじゃないか。たとえば,スポーツしたいと思っても,すぐ,受験だからという理由で,塾にいかされる。(だから,いじめるほうにも理由がある。)」
b.いじめる側への批判
b−1.自分と違うからという理由で,いじめるな。
「明るい人は明るい人で,遊べば良い。暗いからといって,それを理由にいじめる必要はない。」
b−1.相手のことを考えろ。
「もっと相手の立場にたって考えるべきだは。」
b−1.完璧な子はいない。いじめないで許してやれ。
「いじめらている子は,確かに,うじうじしている人が多いかもしれない。だけど,誰でも,完璧な人は,いないはず。許してやるべきだ。」
(以上)
中学生日記を見て思うこと
要旨;いじめの問題は,大人社会のかつての全体主義や,自己評価の低い生き方(共依存)を連想させる。自己や他者の個性を認める考え方に基ずいて,学校の内外を,よりコミュニケーション豊かにしていこう。
1;いじめの問題は,日本の将来を担う若者の人権問題であるという視点で,真摯に取組みたい。
簡単に,いじめ,いじめというが,将来の日本を担う有為の若者の問題であり,軽々しく取り扱うべきではないと考える。すなわち,いじめと一口に言っても,その内容は暴力や人権に関わる問題もあり,深い内容を含んでいる。
2;学校とそれをとりまく社会の人間関係が,希薄になっていないか。
2−a.
この討論内容を見ていて,学校の内外に悪しき利己主義がはびこったためか,お互いの関心が薄くなっているという気がしてきた。先生の「いじめられる方が悪い」という言い方がどういう意味なのか考えたときに,その考えは始まる。その発言の意味は,先生の立場にたってみると,先生が相当に忙しいのか,また一方では,先生の子供に対する誠実な関心が,薄くなって来たのかとも考えた。先生と生徒の関係だけでなく,生徒同士,生徒と両親,両親と先生,そしてこれらの全ての関係が薄くなっているという気がしてきた。端的に言うと,みんなが,利己主義,エゴイズムに毒されているという気にもなってくる。
2−b.
端的に言うと,人と人のつながりが,薄く成ってきているという気がしてくる。先生と子供と両親が,話し合う機会が少ないと言うことは,容易に推察がつく。それが原因かもしれないが,「学校の内外で人と人のつながりがきれかかっている。何かでつなぎあわせなくちゃ」という焦りにも似た気持ちを,持つにいたるのだ。
3;いじめの理由は,日本社会の伝統に根差した,自己や他者の個性を認めない「全体主義」や,「共依存」すなわち自己評価の低い生き方を想起させる。
3−a.
いじめる側の理由の「みんなと違うからいじめる」は,戦前の全体主義を想起させる。
みんなと違うからいじめるという生徒が大変多いことは,番組をご覧になった多くの人々が気がついたはずである。この「みんなと違うからいじめる」という理由を聞いて,わたしは,みんなといっしょでないと気が済まない日本人のいやな部分が,いじめの理由の一つになっているのだと理解した。また,そういった「みんないっしょじゃないといじめる」という考え方は,第2次世界大戦前の日本帝国の軍隊や,全体主義をおもいださせ,やりきれない様な,いやな気分になるのは,私だけだろうか。また,ヒットラーの次の言葉を思い出した。「我々と異なるがゆえに彼等はいてはならない。」(AERA
95/5/1号)
3−b.
いじめられる側のこの発言「権力のある子にはかなわない」は,「共依存」すなわち,伝統的日本人の自己評価の低い生き方を想起させる。
いじめられる原因の一つとして,「権力のある人にはかなわない」とあるが,これはいじめられる子供自身の,自己評価の低さに,根差しているのではないだろうか。すなわち,慶応大学の斎藤先生の言われる,自尊心の低さに根差し,他者を必要とする生き方,すなわち「共依存」の心理と関連するのではないだろうか。
誤解を恐れず,あえて言うならば,「権力の強い子には逆らえない」の発言を聞いて,私は,高崎山の猿を思い出した。厳格な秩序に従うという意味において,力こそすべてと言う意味において,その子の世界観は猿山の猿の世界に似ていると言ったら問題であろうか。仏教には,十界論という考え方があるが,それでいえば,この発言には,畜生界の生命がわたしには感じられる。
また,この放送が,名古屋で作成された事から,名古屋が江戸時代の徳川家の城下町であったことを思い出し,そして『この「権力の強い子には逆らえない」という意識は,日本の江戸時代からの伝統なのではないか』と考えはじめた。
4;いじめの対策として,自己や他人の個性を認める考え方に基ずき,生徒の自己表現力を高める教育や,父母,特に父親も加わって学校の内外を,コミュニケーション豊かなものにしていく必要がある。
4−a.
まず,根本に,人間性の多様な個性を認める哲学をもたねばならない。これについては,東洋の仏教の哲学が,貴重な示唆を与えてくれる。すなわち,日蓮が「桜梅桃李の己己の当体をあらためずして」と語り,桜は桜として,梅は梅として,それぞれが豊かに輝けばよいと我々におしえてくれている。また,デールカーネギーが言った次の言葉も,参考になるだろう。「自分が他人と違うからといって一瞬にせよ悲観することはない。あなたはこの世の新しい存在なのだ。」(ナンバーワンでなくとも良い。オンリーワンの人になれ。)
4−b.
次に,具体的には,生徒の自己表現能力を高める教育に取り組む必要がある。
そのため,まず第一に,生徒が自己の考えをまとめ,発表する能力を高める必要がある。「うじうじしているからいじめられている」生徒達には,KJ法を学ばせたい。KJ法は,ばらばらの考えを統一する強力な手法だ。必ず,彼等の悩みを解く強力な助けとなるだろう。
つぎに,第二に,教育の中に,褒める場を設ける必要がある。一つには「権力の有る子にはかなわない」と考える生徒達の,自己評価を上げる場が必要なのだ。もう一つには,いじめる側の「みんなと違うからいじめる」衝動を鎮めるのだ。
つまり,デールカーネギーコースの様に,生徒にスピーチをさせ,聞いている先生と生徒はその良い所を口に出してほめてやる。そうすれば,スピーチする方にも自信がついて自己評価は上がり,いじめられる原因は減ってくるはずだ。また,スピーチによる自己表現力が高まれば,「しゃべれない幼児は,口より先に手が出る」とよく言うような,いじめる側の衝動も減ってくるし,なにより,他者の個性を味わえるのだ。
4−c.
やりとり豊かな学校の内外の環境作りを,父親も加わって進める必要が有る。母親の価値観と父親の価値観は異なるという話を聞いたことがある。一方,PTAに出てくるのは,母親ばかりとも聞いている。実際,私の住むマンションの子ども会の世話役も女性ばかりである。となれば,PTAの価値観を父親の価値観もいれて,多様化する必要があるということになるだろう。父親が,会社から自立した生き方をすることがかなり大切なことなのではないかと自分を振り返って思う。そして,父母と生徒と教師とが,地域の人々も巻き込んで豊かなやりとりに満ちたコミュニテイを作っていくべきだと感じる。
1995.5.21(日)、いじめについての中学生討論を文章化